戦艦三笠。

 なぜ休みを取ったのに横須賀に・・・。

 Nちゃんがどうしても横須賀の銀行で手続きしたいことがあるというので、車で連れていくことになってしまいました。まあ、特に予定は入れてなかったのでいいんだけど、でもなんで横須賀かなぁ・・・。

 ついでといっては何ですが、今まで一度も入ったことのなかった三笠公園の戦艦三笠に入ってみました。前回訪れたのは3年ぐらい前かな。そのときは時間が遅くて閉館してしまっていたので、いい機会でしょう。列強と果敢に戦って、この国を守った先人たちが確かにいた、それを伝える貴重な生き証人です。この戦艦は日露戦争の時に勝敗を決定付けた日本海海戦で旗艦だった船だそうです。見に来ている人はお年寄りが多く、日本人のプライドをこの船に重ね合わせているのかな、と思いました。日本には、戦前の軍隊の残した遺産のようなものがほとんど残っていません。アメリカなどでは、結構あちらこちらに引退した戦艦や、軍隊の博物館などがありますが、日本ではここが唯一だと思う。戦後みんな解体されてしまったのでしょうが、本当にもったいない。

 艦内は思った以上に広く、中を一周するのに1時間以上かかりました。当時のそのままの姿の部分はだいぶ少なくなっていますが、展示はこの戦艦の活躍の歴史と当時の戦争の歴史が重ね合わせられて解説されており、展示をじっくり見ていくとものすごく興味深いものでした。当時のトイレはそのまま残されていました。当時はトイレは特に扉とかはなく、甲板にある大きなバスタブのようなところに腰掛けて、横に並んで用を足したそうです。解説の絵柄が書いてあり、そのユニークな絵に思わず笑ってしまいました。

 

CA330301.JPG

戦艦三笠と艦長の東郷平八郎像。

CA330302.JPG

艦橋から望む大砲。これで列強の侵略から日本を守ったのだ。 今は沖に浮かぶ猿島に向かっています。

CA330308.JPG

作戦会議ホール。今にも作戦会議が始まりそうな雰囲気だ。

CA330307.JPG

マホガニーの高級家具。さすが艦長の部屋だ。

 

 そういえば、艦内に当時の艦長以下要職の人たちの写真が飾られていました。当時の軍の主だった人たちは、薩摩、長州の人でほぼ完全に占められていたのですね。明治時代といえば、戦国時代以来の江戸幕府から薩長が日本を取り戻し、恨みを晴らした時代とも言える時代です。すべてにおいて力を掌握した、彼らにとって栄光の時代だったのでしょう。しかし、結局力を持ちすぎた軍部の独走は日本を破滅させてしまいました。結局恨みや欲望が原動力のような人間が力を持っているような社会は、一時的に栄えてもいずれ必ず破綻する。そんなことを考えさせられました。